コラム・特集

1.4 IEの沿革

IEハンドブック
第1部インダストリアル・エンジニアリング機能
第1章インダストリアル・エンジニアリングの専門性

1.4 IEの沿革

これまでに,われわれはIEの分野を定義しようとし,測定問題の重要性を強調してきた。では,いかにしてその分野が発展してきたか,そしてすでに指摘したようになぜ時間研究の課題が, IEと同義語のように誤解されているのであろうか? 出発点は,初期の工学論がすべて何らかの特定の問題を解く必要から生じたという事実を認識することである。一般的に,実際に設計を行った人々は,これらの問題に対する解決は,そのシステムの基礎となる科学に依拠したのではなく,自分たちの仕事の経験から得たものにもとづいていた。彼らは自分自身あるいは先人たちの経験的事実にもとづいて仕事をする。たとえば,2000年くらい前のローマに水を運んだ運河を建造した人々は,パイプや溝の使用資材が異なれば,それに対応して摩擦力や対応損失が違ってくるこが分かっていて設計したのではない。彼らは,それらを造るのにある大きさと勾配で,ある資材を使えば,ローマ人の必要を満すに十分な水が得られることを知っていたにすぎない。ごく最近まで,初期には電気技術者は,いかにして電力線の計画をして停電や電力の変動から防ぐかを知らなかった。彼らは,ある容量を確保すれば,正常な変動や過負荷に対応できることを知ったばかりである。しかしながら,今日では,電気システムの過渡現象は,よく分かっている現象で,適切な電気理論を使って設計できる。すべての工学原理は,経験的事実から開発され,発展のあった研究と理解の結果として,より科学的な基礎が次第に確立されたことは事実である .

IEも確かに違いはない。IEもまた経験を基礎に出発し,せいぜい1950年頃から次第にその科学的基盤を発展させられるようになってきた。この意味でIEも他の工学論と相違はない。他の工学論と比べて, IEの科学的基盤の形成がずっと遅かっただけである。実働の科学が,多くのIEの設計のための科学的基盤を確立するために必要な洞察を形にして与えるようになる前は, IEは必要な基礎科学の発展を待たねばならなかった。この実働の科学が形をなし始めたのと,コンピュータ技術がより洗練され,技術者の求めに合わせることができるようになったのに伴い, IE技術者が確信させられていた経験主義は,次第に消失しはじめた。それでは,何が中心的な事項で,誰が最初に経験的基礎を発展させ,今日われわれが知っているような,より実質ある科学へこの分野を発展させたのであろうか ?

科学技術史家は,IEの起源について論じるであろう。一般的に認められている起源は,フレデリックW.テイラー(Frederick W.Taylor)に よる業績とされている。彼は,生産性という言葉は使わなかったが,その概念に一義的に関心をもったのである。

しかしながら,彼の仕事より以前に,最終的にIEと結び付く概念に言及した別な人たちがあったが,テイラーに誰が影響を及ぼしたかを評価するのは難しい。これらのうち最も初期のものは,1776年に刊行されたアダム・スミスのF国富論である。彼が適正な分業に関して表わした諸概念は,彼の独創ではないが,さし迫った産業革命の開花に重要な要因となった.工場システムの形成にアダム・スミ スがどれほど影響を与えたかは,経済史家たちによって議論されているが,彼の著作,彼の学生 と同時代の人々は,工場システムおよびそれがもたらした産業革命の展開における重要な里程標であったことは明らかである。彼は経済学者であって技術者ではなかった。結果として,彼の著作は彼の視角から生まれてきた。その他に大部分は経済学者であるが,産業革命の間に著作を著した人々がいた。彼らの考えは,IEの分野のパイオニアと一般に考えられている人々におそらく何らかの影響を与えたのである。英国で取り上げられ,テイラーや他の人々の考えに影響を与えたと思われる「経済 科学」の主題を扱った時代の古典的著作には,マルサスの 1798年刊の『人口論』,1817年のリカードゥの『経済政策と課税の原理』,1848年のジョン・スチュアート・ミルの『経済学原理』が含まれる。

IEの 先駆者群に対してさらに直接つながるのは ,チャールズ W.バベッジであるバベッジはケンブリッジ大学の数学の教授であって,純粋数学の枠を超えて広い興味をもっていた。彼が異なるプロジェクトで行った研究の成果として,1932年に『機械と製造業の経済について』(On the Economy of Machinery and Manufactures)を著わした。この書は,製造工場についての彼の観察から得た驚くべき広い範囲の洞察があり,それを読んだIEの分野の初期のどの研究者も感銘を受けたにちがいない。たとえば,特定の作業の習熟に必要な時間,作業をより小さい,より単純な要素に細分化することによる習熟時間への効果,ムダの発生に関する習熟の効果のような問題について論じている。彼の別の考察は,作業の変更による時間の節約,作業者に工具を変えさせる効果,反復作業の有利性に関してなされている。現代の知識に基づけば,これらの考えのうちのいくつかは望ましくないことが分かっているけれども , それらは19世紀初頭にあっては,まったく革命的であった。しかしながら,それらの考えが最初に示され,使われた時期と場所を考えると,これは便宜的な知恵からの急進的な脱却であった。別の章では,バベッジは賃金支払についての考え方を論じ,利益配分計画を考慮した賃金支払への,いろいろなアプローチの効果について論じている。また別の議論では,製造システムヘの機械の導入(あるいはわれわれが呼ぶようにオートメーション)にともなう労使間に存在するいくつかの関係,およびコンフリクトについて述べている。

バベッジが行ったIEへの最も重要な貢献の一つは, 当時はそうは認識されていなかったけれども,おそらく彼が「解析計算言機械J(analytical calculating machine)と名づけたコンピ ュータをつくろうとしたことである。この試みは最初の基本方針以外は成功しなかったが,多くの数学的演算を行える機械を設計し ,製作することができるという彼の基本的考え方は,それを実現するのに必要な技術の進歩のはるか先を見通していた。有用なコンピュータが使えるようになるのに100年を要した。バベッジの機械は,完全に機械的なものであったのに対し,最初の意義深いコンピュータが動くようになったのは,そのような機械で完成された概念化よりも ,電気的 , 電子的理論と装置におけるいくつかの必要な技術的発展に依存していて明らかに,一度計算機が利用可能になると,当初予期されていた適用範囲以上に多くのものが見い出された。しかしながら ,このことは ,このような機 械が利用可能になればどんなことができるかという,バベッジの独創的な構想を描くのに必要とした強力な洞察力についての価値を減ずるものではない。

19世紀の後半には,主とてアメリカで,IEの分野における正式な教育のスタートヘの関心を導いた刺激と考え方を明らかに与えた別の人たちがいた。そのような人の一人が,エール・アンド・タウン会社で働いていて, アメリカ機械工学学会(ASME)の会員であったヘンリーR.タゥン(Henry R.Towne)である。タウンはASMEに発表した論文のなかで,技術者の仕事の経済的側面と責任について強調した。彼は彼の見解を発表する専門学会としてASMEを利用し,専門家集団には,製造と経営の問題に関心をもつ専門家集団の存在が必要であるとの確信を表明したことに注目すべきである。結局,彼の提案は,今日IE技術者が自分たちの従事している多くの課題や活動も含む経営の技術と科学の情報を積極的に促進浸透させている集団の一つである ASMEの経営部門の創設につながった。さらにまた , それはASMEが IEの育成基盤であったという事実を示している。IEに後に結び付くような問題についての多くの初期の論文はASMEに提出され,IEの分野の初期の数人の人々は後にASMEの会長を務めた。

タウンは,生産企業の経営についての関心に加え,さらに 給与支払計画と労働者の報酬にとくに強い関心をもっていた。この後者の問題について積極的な研究者であり,著者であるもう一人は,やはりASMEに自分の見解を発表したフレデリック A.ハルシー(Fred-erick A. Halsey)であつた。彼は給与支払のハルシー割増給計画の父である。この計画を提案した彼の動機は,労務費から測定された生産性を高めることにあった。さらに, 彼の計画にはこのような生産性の増加で得ら れる何らかの利益は,彼が提案した 公式により,それらの利益を生み出した労働者たちで分け合うという考え方をもっていた。IEとして知れわたるようになった開発活動の基礎研究をいろいろ行った3人目はヘンリーL.ガント(Henry L.Gantt)であった。彼もまたASMEの会合を自分の考えを発表する手段として利用したが,それは彼の幾人かの先達よりも広い範囲にわたった。彼は,コストに関心があったばかりでなく,労働者の適切な選定と訓練,および労働者への報奨となる適切な奨励計画の開発にも 興味があった。さらに彼は,スケジューリング問題に関心があったし,ガント・チャート,すなわちその現代的な形ではそれは確率情報と手順を使っているが,それの創始者がガントである。スケジューリング手段としての PERT (Performance Evaluation and Review Technique)とCPM(Critical Path Method)の展開は,ガ ントの独創的な考えをしのぐ発展があったが , 確率の分野が発展し ,適切な計算機技術が利用できるようになってはじめて可能になった(これらの論拠に関するさらに深い議論は,H,13お よび14部を参照のこと)。

IEに関連する研究にほとんどいつも引き合いに出され ,一般的にも周知の研究指導者は ,フレデリック・W・テイラーである。彼の研究では「インダストリアル・エンジニアリング」という用語は使わなかったし,彼はスチーブンスエ科大学の機械工学科の卒業生であったので,ASMEの保護のもとに書いたり話したことが,一般的に研究の始まりであると信じられているテイラーは,彼が大変な努力を捧げた研究を説明するために,「科学的管理法」(scientific management)という用語を好んだテイラーの著作『工場管理』や『科学的管理法を読まないでIEの起源についてよく精通していることは考えられない。テイラーが提案したことは,本質的には,生産と工場管理の問題へのより合理的で計画的なアプローチであった。彼は,経営問題で活動しただけでなく,金属切削や生産技術の問題についても積極的に研究を行った。彼の両分野での仕事の大部分は,現代の基準では未熟であったが,当時の関連分野における発展水準と知識とを考えるならば,彼は非常に進んでいたし ,また多くの具体例において誤って解釈していたものもある彼の仕事を一つの文章あるいは二,二の文章ですら要約するのは難しい(それゆえIEの 起源である)。しかし , 基本的には彼は,経営者による,より良い,より完全な計画,労働者のより良い選択と訓練,労使間のより深い相互理解と尊重,計画通り仕事が達成された場合の労働者 への適切な報奨に非常に関心をもっていた。時間研究と動作研究の両方における彼の関心は,研究自体にあったのではなく,諸活動の計画をするためにそれらの研究が果たす役割と,それらがもたらす情報とにあった。彼は,「計画の科学」あるいは初期にオペレーションズの科学と表現された科学を現実に開発しようとしたが,それを構築するのに必要な関連基礎科学がなかった。結果的には,彼の「科学」は当然全体的に経験にもとづいていたが,彼が示すことができたことは,生産性向上で非 常に重大な結果をもたらすであろうということである。結局,このことは,他の分野に比べ彼が遅れていたということであり,今日もなおこの専門分野は遅れているということである。しかし,かなりいろいろなより良いそれを扱う科学的な道具も出来ている。一般的認識によるテイラーは,固苦しい指摘にこだわらなければ,今日まである長い道のりに出発したIE専門家の二人の巨人の一人であると考えられる。

初期のもう一人の巨人はフランク・バンカー・ギルブレス(Frank Bunker Gilbreth)であった彼もまたエンジニアであった。そして明らかにテイラーの仕事と著作に影響された。しかしながら,作業効率の改善につ いての彼の関心は,テイラーのそれとやや焦点は異なっていたテイラーは,すでに指摘したように,作業の計画と組織に焦点があてられていたし,このことは,作業遂行の方法研究と時間研究両者を必要としたが,これらの研究に彼の一義的関心はなかった。実際には,ティラーは時間研究の父といわれている。これが本当であってもそうでなくても,ギルブレス夫妻が動作研究の指導者であり,作業と作業者の科学的研究の先駆者であったことは広く認められている。動作研究に加えて,さらにギルブレス夫妻は時間研究における仕事と同じく熟練研究 , 疲労研究における仕事も注目された。けれども,これら後の3つは,すべて主要な関心事である動作研究や,個人ないしグループの作業遂行の「最善の方法」の発見に付随しているものとみられていた。ギルブレスは,彼の研究に妻のリリアンM.ギルブレス博士の熱心な協力を得た。彼らは共に非常に効果的な注目すべきチームを形成した他の工学論との相違をなしているIE特有な性質――人間の価値,人間の相互作用に払われる注意,および作業の環境的。生理的制約と作業場に対する人間の反応――は,リリアン・ギルブレスが,心理学で博士号を得ていたことと,夫の研究に関わりのある人間の問題に非常に効果的に協同的に貢献することができたために,ごく順当に研究が行われたフランク・ギルブレスの研究は,その分野の多くの人々に影響を及ぼし,今日なお研究が続けられている動作研究の分野の多くの研究や活動に刺激を与えた。彼らの貢献の一つは一今日では大したことと思われないかも知れないが― 動作の要素定義をしたことである。これは,個々の動作を研究することを可能にし,全体の動作のみを見て,単純に作業を扱おうとするよりもなお効果的に取り扱えるようになった。こうして「サーブリック」(therbligs――Gilbreth を逆に綴ったもの)に動作を分割したことは,人間作業の科学的分析の顕著な前進であった。

IEの分野での米国における最初の博士号(Ph. D.) を与えられたのは,動作研究の分野でなされた研究の結果に対してであった。それは,1933年にコーネル大学によリラフレフM バーンズ(Ralph M Barnes)に授与された。バーンズの学位論文は ,『 動作時間研究』という有名な教科書としての本になり,数多くの改訂と編 集を経て,いまもなお動作研究の「バイブル」とみなされている。彼の学位論文の表題は「微細動作研究の実用面と理論的側面」 (“ Practical and Theoretical Aspects Of Micro Motion Study”)で あった。指導教授は彼の主専攻教授であるデクスター・キン ボール(Dexter Kimball)であった 。

ギルブレス夫妻の著作物をみて,さらにバーンズや動作研究の分野における彼の足跡を辿った多くの学生たち に及ぼした影響を考え合せると, IEの発展の初めの50年間に,ギルブレス夫妻ほどこの分野に大きな衝撃をもたらした人やグループは他にいなかったということだけは結論づけることができる。彼らが行った仕事は,本書の2, 3,4部 に述べられているような事項のほとんどについて先駆的なものであった。

IEの分野の詳しい歴史に記録されるべき人々はこの他にもいたが,関心をもった人が図書館で探すのに少なくとも手掛かりになるように,紙幅の制約もあるので名前だけでも挙げておく。その人々は ,ヒ ューゴ。 デイーマー (Hugo Diemer),チャールズ B.ゴーイング(Char― les B.Going),ハリントン・エマーソン(Harrington Emerson),ロバート・ホキシー(Robert Hoxie), デクスター S.キ ンボール(Dexter S.Kimball), ジョージ H.シェパード(George H.Shepard),アーサーG.アンダーソン(Arthur G.Anderson),L. P.アルフォード(L.P.Alford),そして,少し後の時代になるがまだ第二次世界大戦の前には,アラン G モゲンソン(Alan G.Mogenson),ラルフM.バーンズ(Ralph M.Barnes),マーヴィンG.マンデル (Marvin G.Mundel),ハロルドB メイナード (Harold B.Maynard)である。このリストはすべて漏れなくということではないが,同時代あるいはより初期の人々についての読者に対する案内となろう。あげられた人々は,あるものは学問的探究を通して,また他のものはコンサルティングや企業現場での仕事を通してIEの 分野に重大な影響を与えた。

これらのリストのなかでは,とくにモーゲンソンをあげなければならない。その理由は,彼は米国と世界の工場で働く人々に対して,動作研究の概念を教育し,植えつけようと活動したからである彼のアプローチは,彼が好んで「作業簡素化」(work Simplification)と呼ぶものである。彼の主張は非常に単純であるどの仕事も最もよく知っている人は,その仕事をする作業者である。したがって,彼らが分担している仕事を分析し,挑戦するのに必要な簡単な段階での訓練が作業者に行われるならば,さらに彼らがその仕事の改善をするのに最も 適している。そこで,このアプローチは製造工場の中心人物を訓練することであった。彼はそれをニューヨークのレイク・プラントでの「作業簡素化」会議の間に行った。これらの訓練された人々が自分の工場に帰り,逆に作業者と同じくトップ経営者にも工場での訓練プログラムを導入することになる。彼は,職務におけるこれらの簡素化に分析用具を与えることによって,単純な治具や止め具以外なにもいらない最も簡単な手作業は,作業者自身でかなり改善されうると考えていた(そして歴史はそれを確証しているようである)。さらにかなりの程度の複雑性が入らない限り,IE技術者の熟練は必要がないと感じた作業簡素化計画を通して作業者に直接動作研究の研修を行うというこの考え方は,第二次世界大戦中の軍需生産の効果に対して驚くべき恩恵をもたらした。そして, 生産性の点からみて,戦時中におけるその価値は計り知れないくらい大きかった。

IEの初期の研究者の大部分は,動作研究にそれらの活動の中心を置いたものであり,より生産的にするための個人の作業場における作業域に関するものであった。しかしながら ,この短い概論でさえも当然取り上げるべき価値があるもう一つの領域がある研究対象としての統計学は,100年も前に始まった学問であるにもかかわらず,産業での工学問題への主要な方法には応用されなかった。20世紀の初頭の20年間にサンプリング理論について研究が行われ,1931年にベル電話研究所のワルター・シューハート博士は,サンプリング理論に基づく『製造品の品質に関する経済的な管理』(Economic Control of the Quality of Manufactured Product)を出版した。これは,生産工程の各所でサンプリングによってそれを管理するためのアプローチを説明するために,彼が1920年代に発表した内部の覚え書き,雑誌の記事など多数の文献を編集したものである特別なサンプリング計画,サンプリング・サイズ,結果の計算によって,全数検査をしないでその一群すべての品質についてのかなりの情報を得られる。彼が発表した考えは一般的知識であったが,第 二次世界大戦までは真剣に受けとめられず,広く応用されることもなかった。しかし ,それ以後シューハートが提出した概念について,他に非常に多くのテキストが書かれ,多くの研究が彼の概念を拡張・展開するために行われたこれからみて,現在の統計的品質管理は第二次大戦前に確立し,独立の専門学会--米国品質管理 学会(The American Society for Quality Control) とともに,多 数の実務家を生み出したのである品質の適切な管理に対する要求事項とそのための計画は,製造システムの分析。設計に必要な構成部分であり,考慮しなければならないことであるもともと品質管理のために考えられた概念のいくつかは,他 の領域に拡張された。たとえば二,三の拡張された領域を示すと,在庫の計画・管理,マーケティングの分析・管理,財務管理・会計に管理図が応用されている。

第二次世界大戦の戦中戦後の動作研究,時間研究,作業簡素化,品質管理における発展は,賃金と給与管理 , 職務評価,メリット・レイティング,プラント・レイア ウトと運搬管理,生産管理の手順計画・スケジューリングの活動のような人間機能を扱ういくつかの問題を伴って, IE活動の本質を構成したのである。ある製造組織では上の1つか2つの機能だけが認められることもあるし,別の組織では,ほとんどすべての問題にわたっているかもしれない。組織上の立場からは, IEとして認められる活動は,どの組織でもいくつかの可能な部署のどこかに位置づけされている 。いくつかの企業では, IEの機能は技術組織の中に位置付けられ,男りの企業では製造の組織の一部であって,そこは比較的技術とは関係が少なかった。またある場合には,IEのグループは,果たす機能が主として人事機能であったときは,人事の組織の中に置かれた。このすべての実質効果は,焦点が定まらない分散された原理であったこと,広範な経験主義の上に築かれたものであったこと,それを呼び集めて中心をなすような国家的組織や集団がなかったこと,そして一般的には,せいぜい準専門的職業活動であると考えられていたのである。

あらゆる出来事を適切な順序で記録しようとする試みもないままに,この状況は第二次大戦後すぐに変わり始めた。1948年に米国IE協会(AIIE:the American Institute of Industrial Engineers)が オハイオ州 コロンバスに設立された。会員になるために必要なことは , 主として適当な大学の水準の課程を完了しているとか , 技術的経験による幅の広さや理解力を備えているくらいの経験があれば適格であるというようなことであった。 AIIEの 設立以前にいくつかの団体が存在していた。 これらの中で最も重要な団体は,おそらくもとテイラー協会(Taylor society)と呼ばれていたthe Society for the Advancement of Managementである . しかし会員になるには技術の資格証明書は必要でなかったエンジニアリングというよりもマネジメント指向であった。すでにあげた米国品質管理学会は第二次大戦近くに設立された。会員になるためには,専門の資格証明書が必要なこれら2つの学会の設立が,その時まで焦がなく ,専門性を進歩させる努力を集約できない結果に終わっていたのを,焦点を与え始めるようになった。他に技術者たちのニーズに合わせようとしてきた唯一の団体は,すでにあげたASMEであった。この組織には関心をもっている分野の部門があったが,明らかにIEの会員のニーズを満たすには全く不十分で,他の専門学会ができることになった。

しかし ,もっと重要なことは,戦争それ自体の経過の中でなされたいくつかの分析を取り扱う,すでに分類された資料が公開されたことである。ORの分野は戦争中に広い範囲の学問から集まった何人かの科学者たちが, 戦争を遂行するための作戦上の問題について,科学的分析を使うことについて諮問を受けたことに始まったのである 。結果として,物理科学と社会科学双方の科学者は,与えられた問題を彼らの知っている方法で掘り下げた。既知の方法がすぐに使えない場合には,研究によって使えるものを作らなければならないのであった。これらの努力の結果,意思決定のための責任を負う作戦上の問題と,利用可能な行動の代替案の解明に著しい進歩があった。このことからORの分野が世に出たのである作戦の分析結果は,ある作戦状況において利用できるようなさまざまな選択案や,何らかの選択がなされた場合のトレードオフや,望ましい結果を意思決定者(海軍大将 , 陸軍大将および政治家)に提供した。戦時中の作戦の間題や研究を記述しているこれらの文書が再分類されたので, IEの分野の何人かの実務家には,戦争での作戦問題と物の生産や流通での運用上の問題とでは,著しい類似性があることが明らかになってきた。ギルブレスの「一つの最良の方法」を少し変えると,簡単に,多数のさまざまな生産やマーケティングの状況にしたがって「最適な」戦略を発見するということになるのであった何人かのOR研究者は,戦争から活動の領域を産業の問題を含むものへと拡大したのである。しかしながら彼らはじばしばうまくいかなかった。というのは,一方で,産業の中では非常に多くの変数があったし,他方,労働者に軍事的な原則は欠けていたからであったこれは単純化しすぎであるが,それでもなお,用いられた方法論と結果の具現化にあたって,著しい相違があり,多くの適応措置がとられねばならなかった。

それゆえに1950年代の10年間は,戦前の経験主義から第二次大戦後のより定量的な方法が使える状況への移行が最も活発に行われた。さらに,この時期にあと2つの組織一米国OR学会(the operations Research Socity Of America)と TIMS(The Institute of Management Sciences)-が設立された。これらの組織は,両方ともより学究的で理論的な傾向があリー 前者は後者より,その傾向が強い一そして両者とも工学の学会が通常行っているような形態での応用された活動や結果の報告に重点を置かない傾向がある結果として, 応用の分野への研究の拡張における努力の一層の細分化と,その諸概念をすぐ使うのに最も良い位置にいる,産業の「第一線」にいる人々の手に応用情報をもたらしてきた。

もう一つの,これもやや単純化しすぎているかもしれないが,ORを応用した活動に支えられ,新しい方法論で利益を享受している多数の利益追求組織が存在してもよいし,またなければならないというよりはるかに少なかったことは事実である。同じ時代に,技術組織は新しい進歩したアプローチを採用する歩みは遅かった。しかしながら,大学,政府機関,いくつかの大きい企業で行われた理論的研究と,大規模な実際の応用の間のギャップは非常に大きかった。

しかし1960年代までに,新しいものを掘り出すことに対する冷淡と嫌悪の大部分はなくなり,もともとORに関連したいくつかの方法論はほとんどIE技術者にとってのより標準的手順になってきた。大部分のIEの学校で,カリキュラムにはより多くの数学が見い出されるようになり,工業(と工業でない産業)のシステムの分析と設計のアプローチも変わり始めた。システムの適切な数学モデルを構築し操作することによって,作業を設計し, 分析し,記述し,構成する概念が一般に受け入れられるようになった。数学のいくつかの分野や,最適化問題の研究のための数理計画法,不確実性がある場合の問題の研究のための確率とデータ分析を基礎にした分析と,予測のための統計学の進歩に伴って,全く新しい時代が出現し, IE問題への多くの古典的アプローチは,新しい方法に取って代わられた。古い経験主義は,数学の分野の進歩によって大規模に構築されたオペレーションの科学として表わされるものに置き換えられた。

しかしながら,これらの発達と同時で,かつ重要であるもう一つの重要な一里塚があった。これは,高速のプログラム内蔵式のデジタル・コンピュータが利用できるようになったことである。コンピュータが利用できる前には,大規模問題を取り扱うための数学的技法が発達していても,デ ータや,オペレーショナル・システムを記述するために設計されたモデルを処理したりすることができないために, IE技術者にそれほどの用途はなかった。しかし,コンピュータ技術の発展はすべてを変え,その有益性は明らかであった。第 1には高速計算装 置としてコンピュータは,もしそれが使えなければ何週間も何力月もかかるのを数分のうちに計算することが可能であった。しばしば,答が手計算によって得られるとしても ,決定を求めている状況が終わってしまうほどの時 間を必要とした。計算速度の大きな向上は,すべての技術者,特にIE技術者にとって意義深いことであった。

第2の有益性は,データを貯え,いつでも呼び出せるというコンピュータの能力で,それまで不可能であった処理を可能にした。以前に貯えたデータと比較して「… ならばどうなるか」という質問に答える能力は,コンピュータが利用できる前には近づくことができなかった。 全体的な一連の機会をエンジニアに与えた。 この記憶の能力,計算して答を後の利用や比較のために記憶する能力,および標準的計算(例えば 最小二乗法のサブルーチン)に利用可能な全部のプログラムを保持することは ,サブルーチンの使用によって技術者が大変に強力な手法手続を利用できることを意味する。ほとんどの場合に,プログラムがいったん定義され,適切にモデル化されると,計算は専門家により遂行され,技術者はそれから解放されて,自分の職務のより創造的な要素を自由に進めることができるのである。

第3の ,そして多くの面で,工業のシステム技術者にとって最も重要な便益は,大規模システムの実験ができるという能力である。そ れはコンピュータ時代以前には不可能であり,その時期の機械技術者は, IE技術者が実験の能力面で受けたほどの制約はなかったのである。ギルブレスやテイラーの時代のIE技術者が,手作業あるいは半自動の作業をしている1人の労働者あるいは数人の労働者であっても ,それについて実験を行いたいと望めば,これは可能であった。しかし特定の工場配置や特別な運搬管理システムの実験をするには,機械的道具を合わせても,いくつかの生産工程や方法の代替案を試しても ,実際の目的で製造設備の生産能力を結合させても不可能であった。人間の問題であるということで縮小版で実験をすることはできなかったのである 。人間は,半分とか1/4の縮尺に減らすことはできない。

これの実質的効果は,IE技術者が可能なシステムの形態で実験するという自由と,機械技術者や電気技術者や化学技術者が,それぞれのシステムで行っている程度までのパイロット・プランの運転を試みる自由が得られたことである。化学技術者は小規模なモデルやパイロット・プラントを作ることができ,より大規模なシステムにその結果を外挿することができる。.機械技術者や電気技術者は,システム内で進行する事項の物的特性と諸関係を研究し 理解するために,実験室の中で縮小モデルでも実尺モデルでも装置をセットすることができる。プログラム内蔵式デジタル・コンピュータが利用できるようになるまでは, IE技術者はこの種の実験の満足を得ることはできなかったのである。しかしながら,大きい記憶容量が使えるようになり,十分な洞察や創造的発想をもってIE技術者は,必要ならば論理的で数学的な言葉でシステムの中のさまざまな要素の行動や関係を記述することが可能になった。彼らは,システム・ロジックで記述されたシステムのパラメータを変えることができ , システムの1日, 1週間, 1月あるいは1年の動きをシミュレートをし,結果を測定し,代替的システム設計の結果と比較することができたのであるこの過程によって, IE技術者は,高速のプログラム内蔵式デジタル・コンピュータが導入されるまでは大き過ぎてできなかった大規模システムさえ実験を行う能力を得たのである。

文字通りIEを非定量的経験科学から ,相当数学的に洗練されたものに変えたことと,それをハード・サイ エンスと考えられるようにしたのは,主要なこれら2つの進歩--数学的な進歩とORの分野とそして高速プログラム内蔵デジタル・コンピュータの開発におけるそれらの応用--である。前に述べたように,いまやIEの専門領域はその基礎や技術を支える科学が同類の他の工学と同じ程度になった。IE技術者を支える適切な科学は,機械技術者の最も 適切なそれとは異なる集合であろう 。しかし,もちろん多くの共通部分もあろう。

IEの発展と,戦時に表われた努力の加速を再吟味するに際して, 1つの付加的な要素を考えなければならないすでに前にあげたが, IEが他の工学と異なる点は人間要素の存在である 。この因子は,テイラーやギルブレスによって開発されたように,まさに最初から存在するのであるが,第二次大戦中に開発された問題は,この領域に相当な努力拡大を引き起こした。軍用機のスピードが速くなったので反応時間を短くしなければならなくなった 。しかもどんな状況下であろうと人間はコントロール・パネルに向かい合い,そこで決定を下さなければならなかった。例えば ,使われているコントロール機器やレコーダーの配置や組合せは次第に重要になってきた。結果として,この面では米国空軍で最初に研究が加速された。これらの必要性から,また人間が他のシステムと合体するときには,人間は非常に複雑なシステムであることを考慮しなければならないという認識から ,“human engineering”(人間工学)と か“human factors”あるいはイギリスやヨーロッパでよく知られている“ergonomics”に関する全体的課題が生まれた。今日,このIEのなかでの急速に拡がりつつある専門に ,多くの技術者による努力が集中されている。さまさまな型の問題が含まれ,人間システムにはストレスが加わることから,技術者に,心理学者や生理学者や生物機械の専門家やその他の人々が加わった。それは重要な領域である。システム設計の面から,もっと多くの注意がコントロール・パ ネルの設計に払われなければならない。この状況の例でみんなにあまりにもよく知られているスリーマイル島の原子力発電プラントでは,コントロール・パネルの設計に関連して1979年春に事故が起こり,原発問題について多くの論争を引き起こした。もう1つの例は,1956年 6 月にグランドキャニオン上空の広い空間で発生した2機の飛行機の空中衝突である。

設計されたシステムの人間の側面を扱わなければならない,もう1つの重要な専門領域は,職務設計(job design) として認識されてきたものである。 この概念はロサンゼルスのカリフォルニア大学のL.E.デ ービス教授により提唱されたものであり,研究に基づいて,彼は人々がこれまで真実であった以上に作業をするように,もっと注意を払って設計されたシステムに改良することを引き受けてきた。トータルワーク・システムの設計に焦点があてられた。やや異なっていて,いくらか拡張された概念--完遂されなければならないことについての全体概 念--は,ウイスコンシン大学(マディソン)の G.ナ ドラー教授がワーク・デザインと呼んだものである。彼の「理想概念」は,本書では特に触れていないが,こ れもまた研究に値するものである。

最後に,人々の動機の問題にもまた注意を向けなければならない。人間の潜在力は,何かしたいという気持ち を人々に起こすような十分な挑戦を受けたときには,実際大きいものである。しかしながら,彼らに何かをしたいと十分に動機付けをする問題は非常に複雑な論点である。それは ,心理学者,社会学者,技術者,そしてあらゆる範囲の経営者により 研究されてきたものである。作業者への動機付けの訴えの基準―あなたが望めば,ニンジンーーは,同じ仕事をしている人々の間で,そして同じ人間であっても 異なる仕事すると,著しく 変わり得るものである.ワーク・デザインと,人々への達成の動機付けの,これら2つの領域における研究努力は,中の人間により満足して,より快適に仕事をさせるために , そしてそうすることによりもっと生産性を向上するために,人間の行動パターンを常に調査研究しているのである。

学問の根拠となり得るより完全な科学的基礎の構築において, IEへの関心の最大の拡大,最大の前進をもたらしたのはおそらく1950年代の10年間である。1960年代と1970年代の各10年間に知識の基礎が発展したので,今日 (1980年 )IEの分野には数学の堅固な基礎があり,数学的モデルについて,進歩したより良い理解ができるようになった。

これらの発展の結果,1980年代のIE技術者は,彼の問題を分析し新しい改善されたシステムを設計するための,多数のより高度な道具をもつようになった。しかし その過程において, IE技術者は以前よりずっと専門化しなければならなかった。そしてIEはいまIE自身が機械工学から飛び出した頃の20世紀前半の機械工学がやったように,専門の専門に細分化している.IEファミリーの専門家の中には品質管理の人々がいる。また統計や確 率の基礎からの操作は信頼性の専門家である。しかし,信頼性の概念は他の工学にも同等に応用でき,IE技術者は,この領域をIEだけの領域だと主張しないし, すべきでもないことに注意すべきである。もう1つの細分化された専門は,価値分析である.価値分析の概念は , 原材料の適切なかつ効率的な利用にもっと注意を払うための基礎を与えるために開発されたのである。ある意味でこれは,機械設計者か電気設計者の問題であるが,生産技術者が生産に使われる材料や,部品を作ったり組み立てたりするのに使われるさまさまな生産工程の分析を行うようになって, IEの問題となってきたのである。これは重要な概念であり,7部でもっと詳しく議論される。

つねにある程度IEにおける専門の専門であった領域は,今日ではますます専門性をもち ,別の専門学会ができた (the Arnerican Production and lnventory Control Society,またはAPICS).生産と在庫管理の問題を専門とする。生産順序の統合的な役割として在庫を用いることは最も重要な考え方である。もし生産が即時にできるとすれば在庫は必要ではないであろう。しかし, 生産の時間が長くなれば,在庫の利用はより重要になってくる。代替的な工程や方法が使えて,各工程で異なる時間がかかるようなときには,遅くて,一般的には安い工程で高い在庫投資の場合と,安い在庫投資で,一般的に高価な機械を要するがより速い生産の場合との間のトレードオフに関する問題が生ずる。生産戦略の一部として在庫の適当な利用と配置は,企業の成功にとって重要である。生産工程の中でどこに在庫をおくべきかということを適切に認識することは,この問題の一部である在庫を最終正程のみに置くべきか--最終段階の二,三 前の場所に注文があるときだけ手持在庫で処理しなければならないか? これは経済的諸関係を含んでいて,このような問題の適切な解決は,企業の収益性および生産性に重要な関係がある。したがって,こ の考え方の一部は,さ らに運搬方法の問題や生産設備の物理的レイアウ トの問題になる。

人間工学の要素は,先にIEの 重要な専門としてあげた。そしてこれはもう一度強調しておくべきである。識別できるような特別なコンピュータのサブ・グループや指向性もないが,それは重要な領域でないからではなく ,それがIEのすべての部分領域とし て重要だからである。1980年代の環境下で, IE技術者だという人はだれでも 広い範囲の問題に必要な計算やシミュレーションを扱うために,多くのコンピュータのソフト ウェアの概念を熟知するだけでなく ,情報の連鎖のある部分を調整するためのシステムを設計したり,生産工程,販売および外部からの注文の過程,お よびサービス機関に示され る「サービ ス」のニーズや需要により生成される 情報に対して応答するシステムをもつようにシステムを設計する必要から ,いくつかのハードウエアについても熟知していなければならない。

IEの歴史には,他にも数多くの参考にすべき点があるが,簡潔にする必要からここでは論じられない。少なくとも大きい影響のあるものは言及したと信じる 。より多くの情報を知りたいときは章末の文献目録を参考にされたい 。

本コラムは絶版となっている「IEハンドブック(サルベンティ編・日本能率協会訳・1986)」をアーカイブとして掲載するものです。このハンド ブックの各章は、多 く の事例と理論を通し て生産性向上に対するアイデアを提供するべく専門家によって執筆されています。基盤をなしている IEの考え方 ・原則は、インダストリアル・エンジニアリングにかかわるすべてのひとに有用でしょう。

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